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メディアを利用した戦前戦中の日本語(国語)教育

 戦前戦中の日本語教育を語るとき、見落としがちなのは、学校教育や夜の学習会、地域の学習会、といった活動の外にあった、ラジオ、新聞、雑誌、紙芝居などを活用した日本語教育です。加えて、民間の日本語教育機関の活動も、気になるところです。なぜなら、植民地朝鮮における学校教育は、記録によれば、男子の就学率でさえ7割程度、女子のそれは5割に達しなかったからです。さらに言えば、朝鮮では義務教育は、結果として実施されず、学校を途中でやめていくケースも少なからずあったようで、就学率=日本語理解者率とはなりえなかったわけです。

 ところが、社会は日本語を「国語」としていた時代。進学にも公務員への就職にも、「国語」は必須でした。

 戦争が進むにつれ、朝鮮総督府は半ばヒステリックに「国語理解率」を新聞などに取り上げさせています。道別の統計などが出ています。確かに、日本人男性が出征していく中、朝鮮人男性を労働力として重視する流れはあり、その場合、日本語が通じないということは大きな課題となりますし、朝鮮で志願兵制度や徴兵制度が実施されるに至っては、日本語が通じない兵隊を指示していくことは極めて危険なことだと認識されたからです。

 学校以外でどうやって日本語を学んでいくか。

 その一つの解決の方策として、私は、ラジオ講座、新聞の連載、を取り上げて調べています。

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